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◆由緒
当社の勧請年歴は不詳なれど御神体は実に古く、背面に『文治五年酉三月吉日』との墨書がある。
社伝によれば推古天皇の御代(西暦593~628)に現在の大和町徳良にある友兼山(深見地区)に田心姫神(多紀理
比売命)、大平山(当社)に湍津姫神、八幡山(上徳良地区)に市杵島姫神と、三山三社にそれぞれ宗像三女神が祀られ長く
地元の氏子に崇敬されるも、明治41年に政府の政策によって中津宮に当たる亀山神社に合祀される。
こういうことから土倉郷(現在の徳良)の総氏神として崇敬せられ「大宮八幡宮」と称され時代もあった。
明治4年、邑内の小祠十一神を合祀。同41年字西深見の友兼(ともかね)神社、字天王の八醞折(やしおり)神社、字石丸の清(すが)神社をそれぞれ当社に合祀。
同44年、大字上徳良字稲荷本の八幡神社が当社に合祀されるも、この八幡神社は終戦間もない昭和21年9月、大字上徳良字火焼田に「八和田神社」として創立され御祭神は還御となる。
昭和45年、社名を「八幡神社」から古来の『亀山神社』に改称。
昭和50年、御鎮座1350年祭を斎行。
当社奉斎の神は本サイト【御祭神】をご参照ください。
なお、当社本殿に奉斎の御神体7体(木造御神像)は、背面に『文治五年酉三月吉日』と墨書してあり、年号記載の御神像
では国内最古と鑑定されている。
【*文治五年=西暦1189年】
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